日本美術史概論のテーマは彫刻史
それだけを目的に、神護寺の薬師如来も見たし、六波羅蜜寺の薬師如来も見た。 神護寺の薬師如来は木の霊力を生かした檀像仏、六波羅蜜寺の薬師如来は木の霊力とは無縁の寄木仏。 寄木造の仏像は、最初はただのモノにすぎないが、寺に安置され、開眼供養がされると聖なるモノになる。 物理的に同じものに対してまったく異なる見方ができること、これが信仰心だろう。 たとえば現代においても、それが美術館にあれば芸術作品で、寺にあれば尊像になるように。
その昔、聖徳太子は物部守屋との戦場で、落ちている木を拾って毘沙門天を彫り、仏の加護を願って頭にくくって戦った。 単なるモノが聖なるモノに変わった瞬間だ。 ということは、仏像とは、信仰の対象となる仏の魂が宿るための依代(よりしろ)ということだろうか?
では仏像を制作する仏師らは、仏の依代を造るとき、何を考えているんだろう? あくまで材質や形状といった外面的なことだけだろうか。
イコンを描く修道士のように、仏につかえ、日夜祈りながら制作しているのか。 そんな神聖なものなら、民間の工房に発注することはないだろうけど、実際に多くの仏像を制作した仏師は、民間人がその功績で後に僧籍を得たものだ。
東大寺の仁王像など、あれは彫刻と云うより、建築と云ったほうが適切だろう。 平等院の定朝仏も、京都の工房から牛車でごろごろ宇治まで運んできて組み立てたものだし。 とても神聖な制作過程とは云いがたい。
また、すぐれた彫刻は鎌倉時代までと云われるが、迫真の姿を造ることが優れた彫刻なのか? 仏の依代であるならば、それは無縁ではないだろうか? イコンは、技巧がこれだけ発達した現代においても、逆に自然なプロポーションを描いてはならず、手本とされる絵は千年来変わっていない。 つまり技巧に意味はない。
やはり仏像は、聖なるモノであったとしても、学術的には単なるモノとして見なくてはいけないのだろうか。 宗教的な目的で制作されたものを、宗教と切り離して見ろ、というのは難しい。
・・・まあ、仏像を彫刻として技法的に語れるものかという本質的な議論はドブに捨て、シコシコとレポート書くか。 4単位、デカイからな。