さて、いよいよ研修旅行も大詰、今回最大(個人差があるが・・・)の仏教遺跡、石窟庵と仏国寺の視察となった。 正直なオハナシ、みぴは石窟庵というのは、中国の敦煌などにある石窟寺院をイメージしていたので、韓国の石窟庵はモノタリナイ・・と言えば失礼なんだけど、最初はそんな感じだった。
しかもこの両遺跡、奈良で云うなら東大寺&興福寺、京都で云うなら清水寺&銀閣寺みたいな、修学旅行のゴールデンルートで、韓国ばかりか日本からの修学旅行の学生であふれ返ってる。 日本の修学旅行生、日韓親善とばかりに「あんにょんはせよ!」と、私たちに挨拶してくれる。 ニッコリ笑って「コンニチェハ、日本人ですか?」と、たどたどしく答えてあげた。
石窟庵の全体はこんな感じ。
遠目に見ると、大きな古墳(土まんじゅう)みたい。
写真に見えるように、この山を左から登って、中の石仏を鑑賞し、右側に下りてくる。
肝心の石仏とのご対面は数秒が限度か・・・
まるでレオナルドの『受胎告知』鑑賞みたい (^^;
中はこうなってる。
ネットの写真をパクッたけど、後ろの十一面観音が写ってる貴重な写真。
正面の大きな仏像は如来だけど、何如来なのかは不明とのこと。
でも鳳凰堂の定朝様みたいなすっきりとした体躯で、とても美しい。 今は、ガラスの仕切りがあって、後ろが見ないんだけど、この写真は後ろまで見える貴重なもの。 どうしてもこの十一面観音が見たかったけど、ダメだったから・・
実はこの十一面観音、頭頂仏の二面が欠けている。
正確なところは解らないけど、日帝時代(韓国では日本支配の時代をこういう)に、日本のボケが欠いたと云う。 しかも石窟全体の修復のやり方が悪く、天井の石組みがずれ、雨漏りがするようになったとか。 最終回で書こうと思っているけど、不都合なことは、とりあえず日本のせいにしとくのがデフォルト思考みたい。
韓国人に極悪人を尋ねれば・・・
第一位:加藤清正
第二位:豊臣秀吉
第三位:総称としての日本軍
・・・だそうな。
次の
仏国寺はとばして・・・
(そろそろ飽きてきたし)
ただこの仏国寺、大きな山門が二つあって、一方が紫霞門、他方が白雲門という。
両方とも仏の存在を示す(暗示する)ものだけど、みぴの場合、「紫の霞たなびく方・・」という、信貴山縁起絵巻を思い出してしまう。 この第三巻、「尼公の巻」は、信州の山の中から、仏門に入った弟をたずね、姉の尼公が奈良にやってくる話。 あちこちで弟の消息を尋ねるがわからず、そんなある日、東大寺の大仏殿でおこもりをすると、夢枕に仏のお告げがあった。 明朝、紫の霞たなびく方を目指して旅立つと、そこに弟の妙連がいた、というお話。
仏の存在、仏の力を象徴するのにふさわしい名前の門だと思う。
最終日の通度寺は、現存する寺院では最古の部類で、金堂に仏像が無い。
堂内は撮影ができないんだけど、堂内から外の仏塔が見える仕組み。
外はこんな感じ。
本尊がなく、仏塔を本尊としている、ということでこの寺は有名らしいけど、本当はもっと大きな意味がこの寺にはある。
それは、この寺が、修行僧が受戒し、正式な僧侶になるための寺だってこと。 思い出してほしいのは、東大寺の戒壇院。 日本に仏教が伝来し、鎮護国家のために仏教が隆盛したものの、当時の日本には修行僧に受戒を与える高僧がいなかった。 で、中国で受戒するしかなかった。 そんな状況を憂慮し、多大な苦難を乗り越え、鑑真が日本にやってきた。
そして鑑真は東大寺に入り、戒壇院で修行僧に受戒を与え、やっと日本で僧侶を育成するシステムが完成した。
この機能をこの寺が担ったいたんですね~
ちょっと感激ですよ。