今日はちょっと手抜き・・・
先週の土曜日、東京国立博物館に、最後の魅惑仏「宝誌和尚像」を見に行ってきました。 翌日の「新日曜美術館」で放映されることがわかっていたので、放映される前に行きました。 だって、あれが放映されると一気に混雑が倍になるから・・・
友人に見たらレポート送るから、って約束してたので、そのレポートをそのまま転載しちゃいましょ。
宝誌は中国宋代の実在の僧で、日本的に云えば修験者のような生活をしており、長髪、裸足で徘徊し、酒肴を平気でたべる、あるいは何日も何も食べないなどの奇異な行動をとっていた。人々に対して予言を行う、人の心中を言い当てる、あるいは一時に数所に現れるなど分身のさまも目撃され、やがて唐代には十一面観音の化身であるという信仰が成立した。この像は、あるとき皇帝が宝誌の肖像を描かせようとしたところ、宝誌の顔が割れ、次々と仏の顔に変化したため、結局肖像を描くことができなかったという逸話をもとに、宝誌の顔が割れると中から十一面観音が現れた瞬間を表現した像である。
この宝誌和尚像は、鉈彫(なたぼり)という技法で制作されている。鉈彫は像の表面にノミの跡が残されたもので、当初は制作途中の仏像ではないかと考えられていたが、地方を中心に相当数の仏像が見つかったことから、一部で用いられた造仏技法であると結論付けられた。平安時代、都では定朝による平等院鳳凰堂の阿弥陀如来のような、寄木造りの技法が用いられるようになり、神護寺薬師如来像のような、木材そのものの持つ霊性を活かした造仏は少なくなっていた。つまり仏像のモノ化が始まったのである。これに対して地方で制作された鉈彫仏は、巨木にやどる精霊の存在を重視し、聖なる木から聖なる仏が誕生する瞬間を表現したものである。
宝誌和尚像も、この鉈彫の技法が用いられており、全身にノミの跡があるが、顔の部分はより細かなノミ跡となっている。つまりこの仏像は、一方で聖なる木から宝誌和尚が誕生する瞬間を表現し、他方で宝誌和尚から十一面観音が誕生する瞬間を表現するという、二重の表現を行なったものである。
・・・しかしねぇ、こんなホントのレポート送られた方も困るわな。
でも知ったことか