こんな研修旅行、たぶん奈良大に入学して聖徳太子のことや法隆寺、明日香村の仏教遺跡にふれることがなかったら、まず参加しなかったと思う。 その意味で奈良大の成果は大きい。 たしかに寺院の数は京都の方が圧倒的に多いと思うけど、京都の寺は新しいし、きらびやかすぎる。 そもそも反奈良仏教の思想が強いから。 仏教の根本は奈良だと確信したし、現実にそうだと思う。 その奈良に仏教を伝えたのは百済の聖明王。 それだけ奈良と百済の関係は深い。
百済と書いてクダラと読む理由はわかっていないけど、みぴが信じてる説は韓国語源流説。 つまり韓国語で「国」を顕す言葉は「ナラ」という。 新しい国は「セナラ」、それに対して古い国は「クナラ」、つまり旧国→久国。 この「クナラ」が「クダラ」になったという説。 いちばんロマンがあるもん。
さて当初のもくろみは、ツウそうな人を見つけてスリスリしてしまうコバンザメ戦略。
参加者はこんなメンバー
参加者は奈良大のスクーリングみたいに平均年齢が高く、ハングルに詳しい人はもちろん、韓国はこれで何回目、という人がいない・・・ みなドシロウトばかり。
ところが、現地のガイドさん(北斗晶似)は大学院卒のインテリで、歴史についてもかなり詳しい。 当然の成り行きとして、全員がガイドさん頼みの行動になっちゃって、食事場所の選択からメニュー選択、注文から会計まで、おんぶにだっこ・・・ おかげで助かった。
(結局、辛くない料理をマーキングした指差しメニューは利用せず)
前半は百済の古寺巡礼。
その前に、韓国の信仰についてちょっと説明すると・・・
韓国は儒教の国というけど、儒教は宗教というより、道徳(生活の戒律というか、礼儀作法というか)と考えた方が良いと思う。 その儒教がベースにあって、その上に仏教とかキリスト教がある。 仏教は禅宗が一般的で、一部に華厳教とか他の宗派があるみたい。
問題はキリスト教。
日本ではキリスト教は一つとして考え、その宗派としてカトリックとかプロテスタントを考えるけど、韓国ではカトリックとプロテスタントは別の宗教と考えられているみたい。 カトリックは天主教といい、これがキリスト教。 プロテスタントは教会といい、これがクリスチャン。 寺は山の中がほとんどだけど、キリスト教とクリスチャンの教会は街中に普通にあるのが面白い。
さて、仏教も儒教の上にたった宗教であるわけだが、日本のように葬式仏教ではなく、寺はあくまで「祈りの場所」であるのが韓国的。 仏教徒でもキリスト教徒でも、葬式は寺院ではなく、近親者によって行なわれ、このあたりが儒教的なところ。
なので、寺に拝観に行くと、そこでは信者が熱心に祈りを捧げる姿が一般的で、仏像は完全に崇拝の対象物になっている。 日本のように観光的な視線で尊像を見る人はいない。 だから、すごく気を使うのだけど、中には仏像にベタベタさわるヤツとかいて、無神経さにはり倒したくなるんだけど、反日感情の一端はそんなところにもあるかもしれない。
この写真は、寺の修行僧が太鼓のたたき方を勉強しているとこだけど、基壇の下には体験入山?の子供たちが、それを一緒に勉強している光景。
まず仏像を前にして、五体倒地式の拝礼を三回、それを尊像と脇時に対して行い、他に地蔵とか別の仏像があれば、それに対しても行なう。 それから経本を熱心に読みながら、また礼拝を繰り返す。 そんな祈りの姿、まず日本で見ることはできないでしょ?
その仏像に触れるか?
こんな山の中の石仏も、立派な信仰対象になっている。