困ったことに、こんなことに興味を持つようになってしまった・・・
2月8日の
「真弓鑵子(まゆみかんす)塚古墳調査」のニュースはびっくりした。一つ目のびっくりは、こんなすごいものが普通にある明日香村ってなんだ!ってこと。そして二つ目のびっくりは、被葬者に蘇我稲目の名前があがっていること。
水野ファンなら、先生の見解として、明日香の石舞台こそ蘇我稲目の墓、って説を去年の遠足で聞いているはず。一般には蘇我馬子の墓では?と云われているけど、墓の様式は確かに一時代前のものだし、みぴも稲目説は妥当だと思ってた。
今回の真弓鑵子塚古墳内部の写真を見ると、石舞台よりさらに一時代前だと思われる。新聞にも「朝鮮半島の影響を受けた」とあるけど、まさに去年見てきた新羅時代の墓に似ている。
これは天馬塚古墳と云う5~6世紀の新羅(慶州)の古墳。
内部の構造はこんなカンジ。
棺桶を石のドームで包み、上に盛土をして円墳にしている。
別の発掘現場の写真では・・・
これは5世紀の皇南大塚南墳(同じく慶州)の様子。
5世紀くらいまで竪穴式だったものが、6世紀になると横穴になり、さらに7世紀になると高松塚やキトラ古墳のように石室になってゆく。
新羅とヤマト朝廷の古墳の推移に年代差が無いのか有るのか、そこは専門家じゃないからわからないけど、石組ドーム→巨石石室→小さな石室への流れの中にあると見れば、石舞台を馬子、真弓鑵子塚を稲目と見る向きも理解できる。
水野先生がなんと言うか・・・
個人的には東漢氏説を支持したいと思う。